長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

『グローバリズム その悲劇に備えよ』

上の子が宿題で書いた書評。

私は分かり辛い所を指摘したので、少し変えて平易になっている。

 

ショッキングなタイトルだ。著者の2人は、いたずらに危機をあおるのではなく、経済や政治、歴史などフィールドを超えた議論を通じてグローバリズムの本質をあぶりだし、読者に現実を直視することを迫る。
グローバリズムとは、国境を越えてヒト・モノ・カネが自由に飛び回ることを是とする思想のことだ。1980年以降急速に深化したこのシステムのもとで、エリートは富を蓄えてきた。一方、その恩恵からこぼれ落ちた人も多い。2016年イギリスのEU離脱派が勝利した国民投票や、アメリカ大統領選でのトランプの勝利、2017年フランス大統領選でのマリーヌ・ルペンの躍進などに代表されるポピュリズムの動きは、グローバル化によって生み出された民衆の怒りの表象だと、著者は指摘する。
選挙戦中、トランプ支持者は「アメリカをもう一度偉大にする」というスローガンに熱狂した。かつて鉄鋼業や製造業で栄えた五大湖周辺の工業地帯は、1960~70年代にかけての不況やグローバル化が原因で、海外に工場が流出してしまった。かの地の労働者は、仕事が戻れば寂れた街も活気づくはずだと、新大統領に期待を託したのだ。否定的な文脈で用いられることが多いが、ポピュリズムという語は、1890年代にアメリカ南部や西部の農民運動をきっかけに結成された人民党(ポピュリスト)に起源を持つ。人民党は、急速な工業化のあおりを受け農産物の価格が下落し、苦しい生活を強いられていた人々の支持を基盤に、マネーパワーが牛耳る政治システムを強烈に批判した。工業化にしろグローバル化にしろ、急激なシステムの変化は社会を不安定にする。政治エリートから疎外されたと感じた人々が、失った決定権を「わたしたち」へ取り戻したいと願うことは当然だろう。
行き過ぎたグローバリズムが持続不可能なことは、民衆の怒りを見れば明らかだ。その上で、誰もが自立を目指せるような新しい枠組みを探すとき、「わたしたち」とは誰なのかを考えたい。エリートに虐げられた農民?工場労働者?ちょっと待って。人民党はアフリカ系アメリカ人をメンバーに擁さず、白人至上主義を掲げた。トランプは排外主義的な主張を隠さない。そこには、自分と異なるバックグラウンドを持つ人々への想像が欠けている。グローバリズムを敵に仕立て上げるポピュリズムは、解決にはつながらない。様々な「わたしたち」の存在を認めたとき、民衆の怒りは変革へのエネルギーに、形を変えることができるのかもしれない。

 

 

トランプの言う「われわれ」は、「お金持ちの白人のわれわれ」または、「白人でなくても、十分にお金持ちで、トランプに味方の人」であって、「アメリカ国民すべて」ではない。

相変わらず、白人の警官は、黒人を殺し続けているでしょう。黒人の警官は黒人を殺すだろうか?アメリカは、残念ながら直らないだろうな。

日本は、どうだろう?

天皇の呪縛から逃れられないだろうな。

 

こういうネタは、皆さんはお嫌いでしょう。