長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

昔の記事を読み返す。2019年10月の霜柱の話。

々と寒くなってきましたね。私が社会に出て始めに勤めた会社の支所は、山の中の小さな平野にあった。戦前に建てられたかと思うほどのバラックの社宅で、近くに円墳があって、冬になりかけの頃、その際(きわ)の沢に素晴らしい霜柱ができた。霜柱は、氷の結晶だから、沢の近くのものは、丈が高く、10cmほどになるのである。ある時、薄黒い霜柱ができていることがあった。また別の朝は、うっすらと赤かったり、青かったりしたのだ。よくよく観察すると、沢の近くの小学校の児童が沢で、お習字の筆や硯の墨をこぼしたり、絵の具のパレットを洗い、その水が霜柱に使われたのだろうと分かった。しかし、寒さが厳しくなると、土中の水分が凍ってしまい、霜柱は出来なかった。

柱は、土中の水分が、毛細管現象によって、吸い上げられ、冷たい空気に触れて凍り、できたものである。土中の水が凍っては、霜柱は成長しないし、土が毛細管現象が上手に起こるような組成でないと、これまた霜柱は成長しない。地表を静かに流れる風も必要なようだ。様々な条件が整ったとき、霜柱は成長するのだ。そんなことを当時古書で求めた中谷宇吉郎博士の「霜柱と凍上」中谷宇吉郎 「霜柱の研究」について (aozora.gr.jp)という文章で知った。

気はマイナス15度、室内のこたつの上に置いておいた飲みかけのインスタントコーヒーが、朝方、シャーベットになるような勤務地の労働は、良かったのか悪かったのかと、これから同じような勤務地に向かう人に聞かれたことがある。「安全ならいいんじゃないの」とはぐらかして答えるのは、この霜柱のせいである。風速20mも、凍った道にタイヤを捕らえて、アッと180度回転しても、それはそれでよいではないかと、極寒の勤務地を懐かしむのである。

空文庫には、中谷先生の文章が載っており、懐かしくて時々覗くのであるが、残念なのは、文章中の挿絵が省略されていることだ。通信販売で求めた昭和20年4月発行の32ぺージの折り丁(おりちょう)には、30余りの実験装置やらスケッチやらが載っており、この図がないと説明文の十分な納得が得られそうもない。また、これらを描く苦労もなかなかのものであると思われるからだ。

後に、折り丁の最後のページの言葉を載せておく。これは出版の心だろう。

 われわれを生み育ててくれた日本 この日本のよいところをもっとよく知り 良くないところはお互いに反省し すぐれたものの数々をしっかりと身につけ どんなときにも ゆるがずひるまず 大きく強く伸びて行く もととなり力となる そんな本をつくりたい

追伸

 ウィキペディアによると、1944年(昭和19年)11月24日以降 、106回の空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。
 その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲(下町空襲)を指す 。この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超えた 。
 この折り丁は昭和20年4月15日印刷20日発行で、印刷所は小石川区久堅町108の共同印刷(株)となっている。
近く敗戦となるであろう日本の行く末を憂いながらも、「われわれ」が「大きく強く伸びて行く」ことを希求したのでしょうね。
 昭和20年5月の空襲で、この折り丁の印刷所は焼けてしまいました。

中谷宇吉郎 「霜柱の研究」について (aozora.gr.jp) 

今でも「霜柱と凍上」は入手可能で、1000円ぐらいでネットの古本屋で買えると思います。当時、立派な本は出版できなけれど、折り丁(おりちょう)を発行しておけば、それを集めて個々人が製本できるじゃないか、ということだろうか。この発行所から出版された折り丁は、多種多様で、中には顔をしかめるような内容の物もあるが、時代のせいで仕方ないのだろうと思う。私は、折り丁を綴じて本の形にすることができる。しかし、かなりの時間と手間を必要とするし、私の死後もゴミ扱いされないようにするには、プロの手に任せるのが良いだろうと思うのですね。