長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

トイレの電気がまた点かない

と家内が昨晩11時ごろ騒いだが、点いていた。

ぼんやりした明るさを感知しないのか?不安だから書いておこう。

家のトイレの照明と換気扇は、センサーで点灯し、タイマーで消灯する。

センサーでの照明の立ち上がりは、じわっと明るくなるのだが、家内の言動は不可解だ。

 

 

猫師匠のお勧めの「日本人の死に時」を読んだ。

哲学書は、たまたま、みすず書房の「野生の思考」は、40年前に買っていたのだが、積読状態だった。NHKの「100分で名著」で取り上げられ、もう一度読み返すのだが、頭に入らない。何だ大したことないじゃないか、と思いたいのだが、そんなわけにはいかない。

さて、80ぺージほど寝しなの2日間で読んだ。3日目は、一気に最後まで読む。187~8ぺは、

 

 江戸時代や明治時代に介護保険が必要なかったのは、たいていの人が自然の寿命で死んでいたからです。今は少しでも長く生きたい、生きてほしいという欲望に振りまわされ、多くの人が苦しい最期、過重な介護、膨大な医療費を背負い込んでいます。

 文明は進むばかりが能ではありません。人間を幸せにしないのなら、ある部分を棄てることも、また文明の知恵であるはずです。

 

なのですが、

「(延命が)人間を幸せにしない(苦しませる)のなら、」は、「人間を幸せにしたい(苦しませない)のなら、」でも、文意は通るような気がして、もやもやしている。

 

是枝裕和総合監修、オムニバス作『十年 Ten Years Japan』に杉咲花、太賀ら | CINRA

香港の企画に影響されて、数年前に若い映画監督らが、10年後の社会を想定したオムニバス映画を作った。情報化、教育、兵役、放射能汚染、安楽死などを扱っていた。その中の安楽死では、政府が安楽死を推進するプログラムを組んで、老人を安楽死させる様子を描いていた。作る側も見る側は若いので、政府主導の安楽死が怖かった。一連のテーマが、個人の自由が制限されることへの警鐘なので、その方向で映画が作られており、その一つとしての安楽死の描かれ方だった。今回の読書で、実際のところを知った。5年前、豊橋駅横の施設で映画を見たのだな。

 

日本の注射針は世界一痛くないそうだ。日本の安楽死も世界一辛くないものにしてほしいな。ドナーカードは、移植数をこなすのが目的の一つだろうが、安楽死統一教会の意向に合わなかった(親分が爺さん婆さんだから)から、進まなかったのか?(笑)