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「われは海の子」(われはうみのこ)は、文部省唱歌のひとつ。2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されている。
初出である1910年(明治43年)発行の文部省『尋常小学読本唱歌』におけるオリジナルの曲名は「われは海の子」(p.3:目次)、または「我は海の子」(p.64-67:本文 )となっている。作詞者・作曲者ともに不詳。ただし宮原晃一郎(本名、宮原知久)(1882年 - 1945年)の娘と芳賀矢一(1867年 - 1927年)の義理の娘は、それぞれ自分の父あるいは義父が作詞者だと信ずると述べた。最近では宮原の原作を芳賀が改作したとする説が最も信頼されている[1]。
『尋常小学読本唱歌』所収の歌詞は以下のとおり。
- 一、
- 我は海の子白浪の
- さわぐいそべの松原に
- 煙たなびくとまやこそ
- 我がなつかしき住家なれ。
二、
- 生まれてしほに浴して
- 浪を子守の歌と聞き
- 千里寄せくる海の氣を
- 吸ひてわらべとなりにけり。
三、
- 高く鼻つくいその香に
- 不斷の花のかをりあり。
- なぎさの松に吹く風を
- いみじき樂と我は聞く。
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四、
- 丈餘のろかい操りて
- 行手定めぬ浪まくら
- 百尋千尋海の底
- 遊びなれたる庭廣し。
五、
- 幾年こゝにきたへたる
- 鐵より堅きかひなあり。
- 吹く鹽風に黑みたる
- はだは赤銅さながらに。
六、
- 浪にたゞよふ氷山も
- 來らば來れ恐れんや。
- 海まき上ぐるたつまきも
- 起らば起れ驚かじ。
七、
- いで大船を乘出して
- 我は拾はん海の富。
- いで軍艦に乘組みて
- 我は護らん海の國。
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暢気に歌っていたし、今も歌われている。
小学校で歌われているぐらいだから、教員は無知だなと思う。
知ったら歌わせないだろう。
戦争で日本を守るという発想が間違い。
それでは、敵が攻めてきたらどうするんだ。
と質問する人に、戦争で戦って守ってもらいましょう。
9107ですが、
(9月19日1331円)1-0
引けは、1321円。
指数が下がるから、つれ安するだろう。
そう、仕方なく動いているのだろう。
日本は、知恵を出して、もっと上手に世界を相手にやれるのだろうに。
馬鹿な奴に駄目にさせられている。
人口が減るのだから、発電量も少なくていい。
多くの消費を目的とした産業の売り上げは右下がりで、株は値下がりが普通だろう。
物の値段が下がらなければ、
カルテルと、高くても買うお金持ちがいるからだろう。
株が上がるのは、妄想なのだなあ。
割りを食っているのは、無知な庶民。
数百兆円が企業の懐に入り、もう永遠に戻っては来ないのである。
依然として、灰汁せすは、60~70で下品だなあ。