長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

暖かいが、手がかじかむ。

子供の頃、小3ぐらいかなあ、母に手が冷たいと言ったら、ガスレンジのガスを点けて炎を小さく絞って、炎に手を近づけてまず母は自分の手を温めてから私の手を覆うようにして、温めてくれた。「一人でやってはだめだよう。服に燃え移ったら火傷してしまうからね。」

小学校へ通う途中、寒さで手をポケットに入れて通うのを、朝礼台の上から、「冷たい手にはあっと息を当てて温めてもすぐにまた冷えてしまうから、ぎゅうっと握りしめるのがよい。そうすれば、中の方から暖かくなる」と言った先生がいた。交通安全の話なんだろうと思う。今なら「手袋をすればいいじゃないか」と思うのだろうが、昔は手袋が買えない子がいたのは確かなのだな。そういう子に「私の家では手袋は買ってもらえないなあ」と思わせては可哀そうだと考えたのだろう。その頃はまだ田中角栄前だから、教員の給料も安かった。今でも1/3の家庭の貯蓄はゼロというから、教師も言葉を選ぶ貧しさになって、すでに十数年も経っている。

24年と8か月乗った初代プリウスをこの25日に廃車にする。プリウス回生ブレーキの音は、昔の自転車のライトの発電機のヒューヒューいう音を思い出させた。冬の夜、私は母の自転車の後ろに乗って風呂に行ったのだ。寒い夜風を母の体の後ろに隠れて避けていた。テレビで人陰に北風を避けるタクシーのCMを見ると思い出す。

小学校に上がってからかなあ。物置になっていた我が家の風呂(何か理由があったのだろう)を両親が片づけて、家で風呂に入るようになった。母と一緒に入った時、私は母の腿の上に座るのだが、石鹸で滑って落ちそうになった感覚を覚えている。家の飼い猫のシマトロの鼻から眉間を手の指で繰り返し擦り上げてやると、ゴロゴロ言って大人しくなる。母親のラガシュの舌を思い出すのだろうか?記憶は失せても、感覚は覚えているのだろうと思っている。