長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

100分で名著の朗読が変わった

少し前までは、朗読者は、ただ朗読するだけに終わっていた。しかし、少なくともジーン・シャープの回からは、朗読者が、視聴者を向き、朗読する文章以外の言葉を発するようになっていた。担当の朗読者が希望したのか、それともそれには関係なく、そう変えたから変わったのかは分からない。実は、私も朗読者が単に朗読するだけの朗読では、朗読の伝わり方が弱いと感じていたので、良い変化だと感じた。朗読者のカメラ目線は良い。俳優の西村まさ彦さんの朗読も内容が内容だけに激しめだ。

「神様がくれた漢字たち」(山本史也著)の61ページで紹介される折口信夫の回の1回目を見ただけで、しばらく間があいて、録画が重なっていたのをこの数日前からまとめて見出したのだ。(因みに、61ぺージの紹介された内容は、「うた」と「うつたふ」が、おなじく神を「うつ」という攻撃的な動作をいう語から枝分かれしたものであるという説のことである。)

 

シャープの回の内容は、

一見強固で揺るがないようにみえる独裁体制には、子細に分析すると、ある弱点が存するシャープは言う。独裁体制は単独では成り立たない。有形・無形の民衆たちによる支持があってこそ成り立ってる。その力の源を断つことで容易に瓦解する脆弱さが潜んでいるというのだ。独裁体制に終止符を打てるかどうかは、そのことに民衆が気づくことができるかどうか、その上で、集団として行動を起こすことができるかにかかっているという。第一回は、シャープの深い洞察がこめられた権力観・政治観を通して、独裁体制のあり方やその弱点を見抜く方法を学ぶ。

非暴力闘争は、受け身でもなければ絶対平和主義でも宗教的理想でもない。シャープによればそれは「暴力なき戦争」である。冷徹でリアリスティックな状況分析に基づき、「非協力」と「抵抗」という武器を民衆の間に徐々に広め、段階的な積み重ねを通じて大規模な抵抗勢力を形成、権力を支えている力の源を断っていく方法である。そこには戦略、戦術、武器の体系など、通常の戦争と同様のプロセスが展開されるのだ。残虐行為による犠牲も生じるが、それすらも運動に利用する冷徹さも辞さない。第二回は、非暴力闘争がなぜ有効かを解き明かし、そのための全体計画や戦略的思考をどう練り上げればよいかを明らかにする。

独裁体制を最終的に崩壊に導いていくものとは何か。最初は限定的な目標を積み重ねてきた抵抗運動が社会全域に拡大し、合わせて発展してきた市民による独立機関が「並行政府」のような機能を果たし始めることだという。ソ連からの軍事侵攻を非暴力ではね返し独立を勝ち取ったリトアニアでも「サユディス」という市民組織が運動の中核として機能、やがて「並行政府」としての役割を果たし統制のとれた粘り強い運動が継続した。つまり、独裁体制瓦解のためのポイントは、非暴力闘争が「堅固で鍛錬されたものであり続けること」。決して一時的な盛り上がりや無計画性に溺れてはならないとシャープは警告する。第三回は、最終的に独裁体制を崩壊させる決定打となるものとは何か、その際に一番気をつけなければならないことは何かを探っていく。

アラブの春」、セルビアの「オトポール!」等、数々の民主化運動にヒントを与え、実際の民主化実現へと導く力を与えたという「独裁体制から民主主義へ」。しかしその後、独裁権力側も非暴力による市民運動について研究を重ね、初期段階からその芽が出ないように機先を制する動きも出ている。大多数の人に対し抑圧が巧妙に隠蔽される先進国、自発的に隷従を求めてしまう人類の本能的性向、圧倒的な威嚇によって生み出される恐怖心といった問題に対して、シャープの方法論は課題を残している。このような問題をどう克服していったらよいのか? 第四回は、シャープ以降の思想動向なども交えて、非暴力闘争の課題と可能性を見つめる。

文化・教養分野では、NHKは、大いに抵抗している。

解説者は、非暴力によるディクタトールへの抵抗という方法は、2012年アメリカの研究機関の評価を得ており、そこへ日本が防衛費を増やしましたというのでは、(なんて言っていたかなあ)ちぐはぐしたものになって…と(何やってんだかという感じで)鼻で笑ってました。

気味がいいが、ガス抜きになってはいけない。悶々としたエネルギーは、蓄積されなくてはならない。昇華してはいけないと歌人寺山修司も、私の通った高校に来た時に訴えていたよ。45年前だけれどね。高木東六氏も来た。ピアノが上手かった。ぼろピアノから良い音が聞こえたので、みんなウォーと叫んだのだ。もう一人は誰だったかな。憲法学者日高六郎氏?いやそんな訳ない。字が二文字かぶっているだけの記憶のミスだ。