長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

髪を洗いながら思い出したこと

私は短髪なので、あまりシャンプーを使わない。子供頃から石鹸で髪を洗っている。少し前までは石鹸を使う理由に、シャンプーは便利だが、便利な物には毒があって、いずれ決着がつくと、勝手にでっち上げていた。妄想だと思う。

さて、我が家の石鹸置きには、わずかな凹凸があるだけなので、底面に接した面の石鹸は水分が多く柔らかい。その面を頭髪に当てると、過量の石鹸が削れ、面倒なことになるので、髪に当てる面を上に置く。この反復によって、石鹸上面は、次第に凹面になる。それをこの20年ほど反復して悦に入っている。

この原理(?)を使った工作に、反射望遠鏡の反射鏡づくりがある。2枚の円形のガラスと酸化ケイ素の研磨剤と水で作るのであるが、平面同士であっても、1枚を机の上に置き、水と研磨剤を挟んで、上からもう1枚を軽く押さえながら、こすり合わせると、上の面は中央がへこみ、下の面は周辺がへこむ。これを均等にへこむように、角度を変えながら反復すると、やがて上のガラスは、太陽光を反射させると、ぼんやりと焦点を結ぶようになる。

長くなった。二つ目に思い出すのは、戦前の話だと思うが、牢屋の囚人が待ち焦がれるものの一つに、入浴がある。ある囚人が洗髪をしようと石鹸で頭を洗った瞬間、「シュツヨーク」と命令が下り、臭い鯨油(?)石鹸だらけのまま、ひと月牢獄生活を送らされる。その間、皮膚疾患等を発症し、大変な目に合うという話だ。多分『牢獄の思想』(1971年9月刊、紀田順一郎著)の中に記述があったと思うのだが、200ページの本だから探してすぐに見つかると思うのだが、そういう記述を見つけられない。変だなあ。96ページ辺りの2ページに渡って「ニューヨーク(シュツヨークの反対語)」の記述があるが、「石鹸は…手拭に3こすり半」とあり、頭髪が石鹸でどろどろになる事は起こらない。

名古屋留置所で外国人女性が亡くなった。医者に罹ることを制限されて死んだので、刑務官の殺人と思うが、死んで当然程の悪事を働いたのだろうか?反抗的な態度で目をつけられてしまったのだろう。

上記の本の137ぺで、1971年4月の新左翼活動家の救援活動をしている団体の受刑者へのアンケートでは、90%近くが体調に不調を訴えている。医療に結びつかないのは周知のことだ。これは病気を理由に労役を免除させようとする企みを悉く排除しているからだろう。疑わしきは認めないから死ぬのだろう。