長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

折口信夫の100分で名著

録画した第二回目を見ていたら、日本文学の始まりが、「神への祈り」「歴史」それらを口承するうちに文学性を帯びてきたような件があったような…。律とは、5音7音のことである。

今読み返している白川静のお弟子さんの書いた本の中には、古代中国の漢字は、神への祈りを書き記す目的で生まれたとあり、「口」で表されている文字の多くは、実は「サイ」という神への祈りの書かれた物を入れる容器である。この解釈によって、様々な文字の解釈の整合性が一挙に高まった。例えば、

右・・・神へ祈る際、「サイ」という神への祈りの書かれた物を入れた入れ物を右手に持ったことによる。

左・・・左手には、エの形をした呪具を持ったことによる。

尋・・・右手と左手で祈り、天候、豊作不作、疫病などを「神」に尋ねる字。ヨも寸も手首,手指を表す。本来は、「ヨ」ではなく、2画目の横画は右に突き出ているのが、古代に刻まれた文字。今は、指だけになってしまっており、手首は切り落とされた哀れな状態。

器・・・多くの「サイ」と生贄の「犬」が並ぶ様を表す象形文字。大ではなく、犬である。これは、古代の文字では、犬と刻まれているという。

などである。

 

100分で名著の中で、愛知県北設楽郡(きたしたらぐん)の花まつりが紹介され、その中で、人と鬼の問答する場面が紹介された。

(2) 奥三河 のき山放送局 第101回 東栄町 東薗目花祭 - YouTube

私の理解はまだ稚拙だが、この鬼(神)との言葉のやり取りは、記録に値する言葉の始めである。

 

白川静という学者は、東大教授ではないので、どれだけ主張したところで、今の東大の教授たちが生きている間は、学界では相手にされないのだな。ひどい話だな。一事が万事なのだ。