長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

「そのつらさは、病気です」という本を頼んだ。

 
どうも身近な方が、困った病にかかることが多くなった。
同僚の精神疾患。2人とも鬱だなあ。
家内の母親も、鬱だな。
他の課の社員は、統合失調症で、退社。
ストーカーに苦しむ同僚の妹。
 
私は、忙しい時は、確かに苦しいのですが、今のところは大丈夫。
繊細じゃないからね。
今日も、ネットで誰かさんに叫ばれてしまった。
きっと叫びやすい方なのだろう。
 
自己有用感が低くなったと誤解した時、周囲の人に認められたくて、迎合するような行動を取るかもしれない。
しかし、迎合ではなくて、その人の欲求ならば、後押しして差し上げれば、良いだろうと思う。
後押しされて実行した自分を検証して、心のありかを分析できるのでないと、回復は遠いかもしれない。
失敗だな(それほどの失敗など元より存在しないけれど)、と感じて、方向転換する時に、それが可能なように、不可逆的な事態にはどう発展してもならないように、配慮すればよいだけのことだ。
 
しかし、実の所、失敗などでは毛頭なく、欲求そのものであり、自分の確認であることに他ならないと思う。
そういう自分自信を受け入れることの何がいけないのか、他に迷惑はかからず、むしろ喜ばれているではないか。
とことん追求する自分と周囲との温度差の存在は、当然の事で、他者の感想など、友好的なものならともかく、そうでなくても、元よりそれほど関心がない。
ただ、少しでも多くの受容する他者の存在が確認できれば、それはそれでよい。
 
◆◆
 
4年前に、みすず書房の「治りませんように」という、とんでもない題名の本を読みました。
本の腰巻(帯のことですよ)には、以下の文句。
 
ただ治そうとする生き方をやめ、病気の中で、それとともに生きることを受け入れるとき、病気は重い荷物から宝へと姿を変える。ベテルからのメッセージ。
 
治るのなら、治った方がいいに決まっている。けれど、完治が難しいのなら、他の方法もあるんだよ…。
ということなのです。
 
ネットの完治談は、商業宣伝が7~8割かもしれない。
 
みすず書房の本なんて、なかなか買わないのです。30年前の「野生の思考」以来ぐらいのお粗末さです。
 
とにかく、いろんなつらさを知る所から、始めますよ。少しは知っているつもりですが、整頓のし直しからです。
知識と経験の再構築からです。
 
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 さて、それほど遠くない時期に、また頭をもたげてくる衝動のエネルギーの昇華の方法をどうするか?
エネルギーをどう発散させるのか?
 
妄想の主人公になりきれる愉悦の場は、たとえそれが自分の板であっても、公共性を重視する正統派によって占領されてしまっている。
 
相場を張る人間そのものを広く受容できるような場は、ないのかな?
勿論、相応の制御ができなければいけませんが。