長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

正直な所

昨晩も寝ながら考えた(それだけだから駄目な)のですが、
①酒田の本数を数えないと駄目だな、
②そろばんを弾かないと駄目だな、
③勤めていると、終値で決済できないので、急場は手が出ないな、
ということです。

「下手な人に自分のいいかげんさを自覚させて、少しはマシな結果が相場で出るようにするにはどうしたら良いのか?」というのが僕のいつものセミナーのお題。いやナニ、人様の事を言っているのではなく自分のことを言っているのだ。  

猫師匠の文章の4行目の「自分」は、控えめに表現された第一人称なのでしょうが、末尾の

それにはちゃんとするべき事しないと無理でしょ?ってブログなの。そのするべき事って君の現在しているような事じゃないでしょ?(爆)

の「君」は、最近読んだポール・オースターの「君」(本では君が第一人称である事がすぐにわかる)ではなくて、第二人称の「君」だな。

そして、猫師匠の活動は、大先生の思いと同じであることを再発見するのですね。
はたして私は、この何回か、いいえ絶えず天から降りてくる「くもの糸」につかまって、よじ登ることができるのであろうかと喘ぐのだな。

何が駄目なのかは分かっていて、それを克服する方法を漠然と表したのが、「そろばんを弾く」こと、程々の利益を得て、夢と現実のずれに、折り合いを付けることで、

その手仕舞いを具現化し易くしたのが、3月(みつき、3か月)という日柄、酒田の本数(場帳を付けること)、サヤ取りならばひと月等の周期なのだろう。