長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

古本屋さん、さようなら

安値で売られていく本が残念なので、借りられる本は、地元の図書館で借りることにした。ケチな話であるが、手元に残しておきたいと考える本は10~20冊に1冊である。だから「これはよい!」と思えた本は、古本屋から買おう。


早速、利用カードを使ってネット予約しようとしたら、カードの有効期限切れで予約できなかった。朴沙羅「ヘルシンキの生活の練習」という本だ。明日直で行っても、残っていておくれ。カードの更新をしないと、どうしようもない。


図書館には「日本語小文典」は岩波文庫が上下であるだけ。イエズス会は、日本に布教(征服)するには日本語の研究が必要と、日本語収集の集大成が「日本大文典」だった。その簡略版が「日本語小文典」。

宣教師の日本語の始めは、坂口安吾の「キリシトの愛は、キリシトの御大切と訳した」という文で、面白かった。今はイエズス会の編纂の意図の汚さを知り、とても興味深いなどという気持ちではない。言語の学習は、その言語、文化、または使う人への尊敬、思慕、愛着など、そういう所から普通は始まる。騙して取り入って自国の利益にするには…、などという邪な本は、持っているだけで汚らわしいと思うようになった。「日本語小文典」も古本屋行きだな。 
同じように日本にやってくる外国人のきっと1%ぐらいは、邪なのだろうと思う。否もっと多い。日本政府は、基地から入って、基地から出ていくアメリカ人の人数を把握していない。 

さて、地元のスーパーに、時々、ハマチのアラが並んでいて、照り焼きにしたら、美味しそうだなと眺めていた。でも作り方を研究しなきゃと簡略レシピを調べるが、こんなのでうまく行くはずはないわなあと思ってしまう。それは自分が詳しい分野についての説明や解説があまりに簡略化されているのを見かけるからだ。もうちょっと書かなきゃ伝わらないだろうと思うことしきりだからだ。

省略は失敗の早道なのだ。