長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

私は寺山修司の近くに2時間ほどいたことがある。

高校の文化祭に彼を呼んだのだ。真面目だか不真面目だかわからないような印象があった。

高木東六さんも呼んだのだ。この方は真面目だね。でも話の内容は忘れてしまった。ピアノの上手(こういう言い方があるのだよ。上手は上手な人という使われ方もあるのだ)で、体育館のピアノを少し奏でると、いつも聞く音とは全く違う音がするので、みんな喜んで、「オオー」と騒いで拍手すると、「皆さん、耳がいいですね」と言われた。彼は、後に知る、シュべスターピアノの愛好者であった。

 

同級生のF君は、今は心臓外科医だと思うけれど、NHK教育の「ピアノのおけいこ」に出て、先程亡くなられた中村紘子さんに、「あなたに立派の志がなかったら、ピアノの道に進んでいただきたかったわ」とお世辞を言われた。アドバイスをすぐに音に表せる才能があったのだろう。彼は耳が良いだけでなく、指先の感覚やら、運動神経も人並外れていたのだなあ。そういう感覚の人がお医者になってほしいと思う。「私、失敗しませんから」とか言って、心臓のオペをしているのだろうか。

 

ところで、またまたルール違反になりそうですが、寺山修司が何を言ったかというと、それは、「皆さんのもっている、何かもやもやとしたエネルギーを、他の代償行為で使ってしまい、治めてしまってはいけない」ということです。

 

寺山支持者としては、大いに頷くところでしょうが、これは大変苦しい教えであり、すぐにへこたれてしまうので、同級生と、「僕たちは、みんな、彼のような表現ができない凡人なのだな」と話したことがあった。

 

子供の遊びの中に、言葉の中に、ふとした行為の中に、人の究極の思いが込められており、それは時に融合したり、気づかずに行き違ってしまったり、混沌としながら、脈々と受け継がれていると思う。彼に影響を受けた、それに気づいた人の作る作品は、その思いを放っており、その深い部分に漂うエネルギーや感覚は、多くの人に共通するもののような気がするのだ。それを掘り起こすのが芸術家なのだと思う。

 

あなたはそれをそのように表現したいのだなという理解が表現の自由なのだろう。