長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

子供のころ空想した町を夢に見た。

食堂で注文した料理が一向に出てこない。昼過ぎで食堂の店員が賄いを食べながら、料理を運んだり、レジ対応をしていたりで、なんだか雰囲気が台無しなので、もう待つことを止めて、通りに出て、パンでも買って食べながら家に帰ろうとした。五つ角から、小学校に続く道に転々とする商店のパンのケースの中から、やっとの思いで、黒くて大きなコッペパンを買って、かじりながら歩くと、自宅から海に向かう途中にある集落の道に出た。バイパスができてからは側道のようになった道だった。側道とバイパスの間の土地に、土建か園芸の会社を営んでいた、小学生の頃の友だちの女の子の一家が住んでいたのを思い出したら、いつの間にか、朝の8時過ぎになって、その一家が起き出したのに遭遇した。(時間感覚がでたらめなのには気が付かなかった。)ほぼ戸外で寝ていたのだ。歩み進むと、従業員だろうか、何十人かの人が寝袋にくるまっていた人々が一斉に起き出した。女性も一緒に雑魚寝をしていたので驚いた。そのうちに高校のグラウンドに出て、夢は終わった。

 

私が小さい頃、行ったことのない遠くの道や景色を想像して作った空想の道や町がそのまま夢に現れて、懐かしさを感じた。夢の中では、この町並みや道は現実ではなく空想であることが分かっていて、行くことのできないもどかしさも感じていたのだ。交通量の多い道を超えて、進めなかった方角への空想は、小学生になってからは、なくなったのだが、幼い頃の行けない地域への憧れを思い出した夢だった。

 

普段は流れが少なく、踏み石を渡れば川が越えられたところに、赤い鉄の立派な橋が架かっていて、その堤防下にある天理教の教会を兼ねた家が、小学校の頃の友達の女の子の家だった。「水くぐり橋」と呼んでいたような記憶がある。それは、ちょうど地域では大手の油会社の家の裏手に当たっていた。私は、間違ってその子の「理科ノート」をランドセルに入れて持ち帰ってしまって、人に聞いて、夕方の頃、やっとの思いで家にたどり着き、女の子に、理科ノートを渡した記憶がある。女の子は、どうしてそんなにしてまでわざわざ持ってきたのか、不思議そうな顔をしながら受け取ってくれたのだな。これは、確かな記憶による記述だ。

 

今その橋から数百メートルの所に住んでいるのが、不思議な気がしているのだ。油会社の友達は、今は社長になって、HPに載っている。家内には、そこのごま油を買うように言っていたのだが、この家内がペットボトルの他社のごま油を買ってきてしまって残念に思ったことがある。

竹本油脂株式会社 | ご挨拶 (takemoto.co.jp)

社長の息子の家には、ビバルディの四季の2枚組のレコードがあって、楽譜もついているのだ。それは3800円なのだ。私の家のはダイヤモンド1000シリーズの1000円で、お金持ちは違うのだなあと思った記憶がある。楽譜と一緒に聴く「春」は、楽譜の音符の飛び跳ねるように華やかで、感動した記憶がある。メロディーとともに楽譜のページをめくる私に、彼が「お母さん、○○くん、始めてなのに、楽譜が読めてる」と叫んだのだが、君だってわかっているじゃないかと思ったのだ。楽しい曲の楽譜を見れば楽しさは伝わってくるものなのだ。

コロムビア・ダイアモンド1000シリーズ (xdomain.jp)

このことは、いつか書いたから二番煎じなのだな。忘れられない竹本君との記憶なのだな。彼は社長の息子扱いが嫌で、給食の食パンの耳をわざと床に落として拾って食べるようなことをしていたのだ。子供心にも、その背景は伝わったのだなあ。東京のKOかどこかの付属中学へ進学して、以来会ったことはない。

 

今日も、夢が見られたらなあ、と思う。

50年前のバラエティ「夢であいましょう」 - Bing video

昔のテレビは、大人が大人の番組を作っていて子供も楽しめたのだよ。