長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

した方が、よかったこと

相場の話ではない。

相場なら、反対をするのが正解だったという、受け入れがたい結果になる。

思ったことの反対をするのだから、もう自分ではない。

反対をしたつもりがそのまた反対をしていて、どれが本当かわからなくなってしまうので、買いしかしない、売りしかしないという人もいるそうな。

そんなことを一切乗り越えた所に、次の一歩があるのだけれどな。

 

遠方の友人がいて、以前美しい写真を撮って送ってくれたことがあった。

私が今度は、こんな景色の風景がいい、と注文を出すと、友人は、こんな感じかなあと、苦労して、撮って送ってくれた。

写真は大事だから、パソコンがお陀仏になる前に、メールに添付して、新しいパソコンに仕舞い直したので、数年前の写真がそのまま健在している。今は音信不通になって仕舞って、メールを出しても、返事がない。病気なのか、私の不義理を怒っているのだろうと思う。

人から物を頂いた時には、十分なお礼の気持ちを表さなければいけないと思う。その苦労、恩義に心からの賛辞を並べて、唯一無二の存在であることに感謝して当然である。その人が横を向いてしまったら、それでおしまいなのだからね。

友人は、病気になったのか、余裕がなくなってしまったのか、私のささやかな生活ですら、自分のそれと比べ羨ましがってしまったのだろうか。その音信は途絶えた。

友人は、あちこちに煙突やら建物が建ってしまったり、山の裾野を砕土してしまってその形が今までとは違ってしまったりして、その風景は美しくなくなってしまったと思っているのだろうか。私には、友人の心の風景と同じように、それを受け入れて、愛でたいと思っているのだが…。