長門銭広永様は難しい銭

もう当たり前だが、自民党は国民を幸せなど全く気にしていない。

テレビの又吉さんの話から、よほど太宰治が好きなんだろうなあ、と思った。

あるテレビ番組の読書と食事のコーナーで、1909年創業のレストランという紹介の際、又吉さんが「太宰の生まれた年と同じですね」と言われた。そういう時代の認識の仕方をされているのか。ならば、ああ、太宰が富岳百景を書いた年の春か、とか思うわけです。

 

ヴィリエ・ド・リラダンの『クレール・ルノワール』の中で、死者の網膜に生前最後に見た情景が焼き付けられているのをボノメ博士が眼底検査鏡で見るという猟奇的シーンがあるが、…
は、2015年にどなたかがネットで書かれた文です。

多分、1912年生まれの串田孫一が随筆集「博物誌Ⅰ」(昭31)の中の『鼬(いたち)』の中で書いている、ヴィリエ・ドゥ・リラダンの眼底検査鏡は、上記の物だと思われます。

ところで、1909年生まれの太宰治も小説「雪の夜の話」(昭19)の中で、「むかし、デンマークの或るお医者が、難破した若い水夫の死体を解剖して、その眼球を顕微鏡でもって調べその網膜に美しい一家団欒だんらんの光景が写されているのを見つけて…」

と書いています。

太宰治はフランス文学に憧れて東京帝国大学の仏文学科に入った(と以前ネットで教えていただいたことがあった)そうなので、ヴィリエ・ド・リラダンの眼底検査鏡の話を読んでいたと考えるのが、自然でしょうねえ。

 

同じようなことを考えていらっしゃる方がお見えでしたら、お書き下さい。

 

『若い広場』というNHK教育放送の番組で、司会の若い女性が「太宰治さんに生きていてほしかった」と言われたとき、シェイクスピア研究者の小田島雄志さんが「生きるのが辛かったんでしょうねえ」としみじみ言われたことを40年経っても私は覚えている。